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【ネタバレあり】ゴジラ キング・オブ・モンスターズの感想

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2019年、レジェンダリー・ピクチャーズ製作のゴジラ映画2作目となる「ゴジラ キング・オブ・モンスターズ」が公開されました。キングコングを含む巨大怪獣が存在する世界観「モンスターバースシリーズ」の3作目ともなる本作では、ゴジラとはどのような存在なのか、なぜ「キング(怪獣王)」と呼ばれているのかといった部分に焦点が向けられています。ネタバレを含む本作の感想を語ってみようと思います。

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ゴジラとはどのような存在か?

ゴジラは1954年に放映された東映特撮映画を発端とする作品群に登場する怪獣ですが、作品によって、そのキャラクターが象徴しているテーマが異なっています。記念すべき第一作では、ゴジラは核や戦争といった「人類が生み出した恐怖」の象徴であると同時に、そうした恐怖を世界に誕生させてしまった「人類の罪」の象徴でした。

ところが、ゴジラが怪獣キャラクターとして人気が出てくるとヒーローとしての側面がクローズアップされるようになります。第一作以後の昭和時代に作られたゴジラ作品では、人類に害をもたらす悪の怪獣や、地球侵略を目論む異星人・宇宙怪獣などと「正義の味方」であるゴジラが戦うというストーリーが展開していきます。

平成に入ってからのいわゆる「VSシリーズ」では、昭和に引き続きゴジラと敵役の怪獣が戦う、というストーリーは踏襲されるものの、基本的にゴジラ自身に善悪の区別はなく、人類は怪獣たちの戦いに振り回される、というストーリーに変化しました。

初のアメリカ版となった「GODZILLA(1998)」は、ゴジラ映画というよりもモンスター・パニックアクションという色彩が強く、一部のファンからは酷評を浴びます。再び国内に戻った 2000年代以降の「ミレニアムシリーズ」では、作品ごとにゴジラの扱いが違います。「人類の敵」として登場させる作品もあれば、VSシリーズ同様、怪獣たちの戦いと人類のドラマを並行的に描く作品もありました。

その後、「シン・ゴジラ(2016)」では、東日本大震災やそれに伴う原発事故のような「国家的驚異」としてゴジラを描き、それに対する日本政府の対応をリアリティを重視して表現しています。これらに加えて、ゴジラを「自然」の象徴として描いた「アニメゴジラ三部作」などもあり、「作品によって象徴するものが異なる」という点がゴジラ映画の特徴です。

そこで私は、「本作におけるゴジラは何を象徴する存在なのか」という点に注目して解釈してみました。

前作:GODZILLA(2014)におけるゴジラとは?

本作の視聴にあたって、前作に当たる「GODZILLA(2014)」を見返してみました。この作品では、ゴジラが「地球環境の均衡を維持する存在」であることが示唆されています。しかし、それはあくまで登場人物である芹沢の推測として語られているに過ぎません。したがって、まだ前作の時点においては「ゴジラがなんの象徴か」が明確に示されているとは言えなかったと思います。本作は、その部分を深掘りした作品として鑑賞すると、いろいろなポイントに気がつくことができると思います。

繰り返される暗喩的なシーン

前作「GODZILLA(2014)」には、似たような構成で繰り返される暗喩的なシーンが見られます。物語の冒頭、主人公の母が危険な場所に閉じ込められ、防護壁1枚を挟んで夫(主人公の父親)と離れ離れになるシーンがありますが、これと同様に、「家族が壁によって離れ離れになるシーン」がいくつも見られました。たとえば、

  • 主人公がハワイで電車に乗っているとき、誤って電車に乗ってしまった男の子が、ホームに残った両親と離れ離れになるシーン
  • 主人公の妻が、子どもをスクールバスに乗せて避難させるとき、バスのドアが閉まっていき2人が離れ離れになるシーン

などが挙げられます。

同様に本作でも、「家族が離れ離れになるシーン」が見られますが、そこには以下のような特徴が見られます。

  • 壁ではなく、「道の断絶」によって家族が離れ離れになる
  • 父・母・女の子がそれぞれ、2:1の比率で別れる

私が覚えている限りでは、以下のような「別れのシーン」がありました。

  • テロリストにさらわれた妻と子を助けに行った主人公の前で、母親が両者の間の足場を自ら爆破し、救出を拒否する(母子と父の別れ)
  • 南極でキングギドラから主人公の妻・子がヘリコプターに乗って逃げる際、地上に取り残された主人公の後ろから怪獣が迫ってくる(母子と父の別れ)
  • 終盤、子どもを探しに行った主人公と妻が再会し、その後子どもを発見するも、キングギドラを陽動するために主人公の妻が1人家族の元を離れ、車で走り去っていく(父子と母の別れ)

同じ構成で繰り返しされている以上、そこにはなにか本作で示したいテーマが織り込まれていると考えたほうがいいでしょう。

怪獣に翻弄される「家族」

ゴジラ映画に限ったことではありませんがハリウッド映画では多くの場合、「家族の絆」が作品のテーマに描かれています。世界的なヒットを狙う以上、国や文化の違いを超えて多くの人々が共感できる、普遍的なテーマを描いたほうがわかりやすいからでしょう。

「家族の絆」というテーマに注目すると、本作のプロットは以下のように解釈できます。

  • 怪獣の活動によって、家族が離れ離れになる
  • 怪獣が暴れまわる中、主人公は家族との再会を試みる
  • 怪獣の活動によって、主人公は家族との再会を果たす

本作の冒頭は、前作(2014年)の際、ゴジラによって破壊された町並みの中で必死に息子の名前を呼ぶ主人公とその妻のシーンから始まります。主人公夫婦はゴジラたち怪獣の活動によって息子を失い、残された娘とともに3人とも心に傷を負いました。妻と娘は一緒に暮らしているものの、主人公は家族と一緒にいることが辛いのか、物語が始まったときは離れたところで暮らしています。

その後、テロリストによって妻と娘は誘拐されてしまいますが、「怪獣を目覚めさせて地球環境を回復する」というテロリストの思想に科学者である妻が共感。怪獣をコントロールする装置でキングギドラを目覚めさせ、地球全土が大混乱に陥りました。

主人公は家族を取り戻すために怪獣を研究する機関「モナーク」に協力し、ゴジラがキングギドラと敵対する存在であるということを突き止め、ゴジラをキングギドラと戦わせることで事態の収集を図ります。

途中、母親に反発した娘がテロリストの元を逃げ出し、行方不明になりますが、最終決戦で夫婦・親子ともに再会を果たす、というのが大まかなストーリーです。

家族の絆と対比される「ゴジラ」

本作で言うところの「家族の絆」は、そのまま「人類」を象徴していると考えられます。つまり、主人公(とその家族)と「ゴジラ」の関係を持って「ゴジラと人類との関係」を描き、それを持って「ゴジラとは(人類にとって)どのような存在なのか」を描いているということです。

善悪を超越したゴジラ

「ゴジラによって息子を失った」という点に注目すれば、ゴジラは人類(主人公)にとって「敵である」といえますが、ゴジラが敵怪獣と戦う中で結果的に主人公たちを助け、その結果家族が再会できたという点も合わせて考える必要があるでしょう。

ゴジラは主人公に対して害を与える場合もあれば、利益をもたらす場合もあります。ゴジラは意図して人類に害をもたらしているわけではなく、同時にわざと人類を助けているわけでもありません。ゴジラにはゴジラの目的があり、その中で街を破壊したり、敵怪獣と戦ったりしているだけで、そこに人類に対する悪意や善意はありません。

したがって、「家族の絆」に注目して見る場合、本作におけるゴジラは善悪を超越した存在です。「ゴジラの活動に人類全体が振り回されている」と言い換えてもいいかもしれません。そのキャラクター像は「VSシリーズ」のものに近いと言えるでしょう。「人間は自然をコントロールできると思っているがそれは誤りだ」「人類こそがゴジラのペットだ」という劇中の芹沢のセリフは、それを表現していると言えるでしょう。

では、人間社会とは切り離してゴジラを捉えた場合、どのような意味が見えてくるでしょうか。劇中では怪獣たち(タイタン)について、以下のようなことが示唆されます。

  • 怪獣たちは「最も強い怪獣」を王として従う
  • キングギドラは最強格の怪獣だが、異星から来た怪獣であり地球環境を守るのではなく破壊する
  • ゴジラは 「地球環境の均衡を維持する存在 」なので、環境を破壊するキングギドラと対立している
  • ゴジラとギドラ、戦いに勝利したほうが「王」となる

こうしてみると極めて単純な話で、自然界の動物の群れと同じく「一番強いものがリーダーになる」というだけの話だということがわかります。それだけにシンプルで多くの人に理解しやすい理屈でしょう。

ゴジラ 番長オブモンスターズ

私はもっと単純に、ゴジラを「番長」として解釈すればわかりやすいのではないかと思いました。キングギドラは「勢力を拡大しようとやってきた隣町の番長」であり、ゴジラは自分のシマを守ろうとして抗争をしているのだ、と解釈すれば非常にシンプルです。

本作で繰り返し描写される暗喩的なシーンとして、先程は「家族が別れるシーン」を取り上げましたが、ほかにも以下のような「ゴジラと人類が対面するシーン」があります。

  • ゴジラがキングギドラの活動に対応して動き出し、監視していた人類を一瞥した後、去っていく
  • オキシジェン・デストロイヤーによって休眠したゴジラを復活させるため、核を起爆させにいった芹沢がゴジラと対面する
  • 核によって復活したゴジラが海上に顔を出し、そこにいた主人公たちと対面する

ゴジラを番長として捉えると、この「ゴジラと人類の対面シーン」が象徴する意味合いがわかりやすくなります。

主人公とゴジラとの対面では、ゴジラは主人公たち人類の様子をうかがっており、主人公たちはゴジラを刺激しないよう努めつつ、彼の意図を探ろうと試みます。

このとき、ゴジラが何を考えているのか、このシーンを見るだけでは分かりづらいですが、「ラドンを始めとする他の怪獣がゴジラやキングギドラに対して服従を示すシーン」を思い出すと理解しやすいはずです。

ラドンを始めとする、作中に登場するほかの怪獣たちはキングギドラやゴジラなど「王」の資格を持つ強い怪獣に出会うと、服従の意を示して頭を下げます。ラドンなどはキングギドラが負けるやいなやまっさきにゴジラに服従した節操のない態度から、ファンによって「ごますりクソバード」などという不名誉なあだ名を付けられてしまいました。

要するにゴジラは自分以外の生物に対して、自分を「王」として認めるかどうかを試しているわけで、「番長が他の不良にメンチを切っている」と解釈するとわかりやすいと思います。「ビビって自分に従ったもの」は彼にとって舎弟や子分であって、キングギドラのように従わないものは「倒すべき敵」ということになります。

つまり、主人公たちがゴジラと対面したとき、ゴジラは人類に対して「メンチを切っていた」わけで、人類が反抗的な態度を示さなかったことから「舎弟になった」とみなして攻撃しなかったと解釈できます。

人類はオキシジェン・デストロイヤーで、一度はゴジラを葬ろうとしましたが、その後、核によってゴジラを復活させました。これはいわば「番長に逆らってしまったので詫びを入れた」ようなものだと解釈していいでしょう。

ゴジラはいずれ万病に効くようになる

本作のラストシーンにおいては、ゴジラが通った後では自然環境が劇的に改善していることが、メディアなどの切り抜きを通して示され、芹沢が唱えたとおりゴジラは「 地球環境の均衡を維持する存在 」であることが前作よりも遥かに強調されます。

私は、「この勢いで行くと次回作では『ゴジラのお陰で彼女ができました!』とか『ゴジラのお陰で不治の病が治りました!』とか言い始めるんじゃないか?」と、ラストシーンのあまりの「ゴジラ押し」っぷりに笑ってしまいました。

彼の「舎弟」となった人類にとっては、もはや「番長」を称えて守ってもらう以外に選択肢は残されていないのでしょう。本作のタイトルが「ゴジラ キングオブモンスターズ(怪獣王ゴジラ)」であることも、「ゴジラがなぜ怪獣王と呼ばれているのか」を描きたかったからだと解釈すれば、納得できるはずです。

人類に贖罪を促す「救世主ゴジラ」

先に、本作のプロットは以下のように解釈できると説明しました。

  • 怪獣の活動によって、家族が離れ離れになる
  • 怪獣が暴れまわる中、主人公は家族との再会を試みる
  • 怪獣の活動によって、主人公は家族との再会を果たす

しかし、この見方は「怪獣が突然現れた」という解釈に基づくものです。この点をもう少し深掘りしてみましょう。「怪獣はなぜ姿を現したのか?」という点まで考察を深めて見るわけです。

劇中では「怪獣は地球環境の悪化によって地上に姿を現した」とされています。「地球環境が悪化したのは、人類の活動のせいであり、怪獣が暴れて被害が出るのは人類の自業自得」とも言われています。

このような視点に基づくと、本作のプロットはさらに以下のように表現できるはずです。

  • 人類が何か「過ち」を犯す
  • 「過ち」の結果として、怪獣が現れる
  • 怪獣の活動によって、家族が離れ離れになる
  • 怪獣が暴れまわる中、主人公は家族との再会を試みる
  • 怪獣の活動によって、主人公は家族との再会を果たす
  • 家族との別れ・再会を通じて、主人公(人類)は自らの「過ち」に気づく

本作においては、「怪獣を思い通りにコントロールできる装置」が登場しました。主人公の妻はこの装置を使って怪獣を操り、地球環境を回復させようとしますが、主人公は「怪獣を完全にコントロールできるわけがない、危険だ」として反対します。

この「自然をコントロールしようとする行為」こそが本作における「人類の過ち」であり、その報いとしてキングギドラが暴れ、世界が危機に陥ってしまうわけです。

主人公と妻は怪獣たちの登場で娘と離れ離れになってしまいますが、元を正せば自らの「過ち」が原因であり、自業自得であると言えます。主人公は妻の考えを正そうとしてはいますが、ストーリーの序盤は息子を失った悲しみからゴジラを憎んでおり、「人類が環境を破壊したせいでゴジラが地上に出てきてしまった」という「過ち」に気がついていません。

最終的に、妻は夫と娘を守ろうとして自らの命を犠牲にし、夫は妻を失ったものの大切な娘を守ることができました。ゴジラへの憎しみを捨て、自らの「過ち」に気づいて改心したために、「救いが与えられた」と解釈できます。

そのように捉えるなら、本作におけるゴジラ(怪獣)は「人類の罪を許し、救いを与える」という、キリスト教の救世主のような意味合いを持っている存在だと言えるでしょう。

ゴジラに対し、人類を代表して贖罪した芹沢

前作に引き続き登場し、副主人公格として活躍する芹沢猪四郎博士は、父親を広島の原爆投下で失ったという過去を背負っています。しかし、彼は原爆投下を行ったアメリカを憎むのでも、戦争を避けられなかった日本国を恨むのでもなく、ただただ「人類が同じ過ちを侵さないよう自然(怪獣)に対して謙虚であるべきだ」という態度を徹底しています。

彼は劇中、傷ついたゴジラを復活させようと手動で核を起爆。ゴジラに別れを告げながら死んでいきますが、ゴジラを「救世主」として捉えるなら、この行為は人類すべての罪を一身に背負って十字架にかかったとされるイエス・キリストの最後と重なります。「核という人類の過ちの象徴を、自らの命を犠牲にして使い、「自然」の象徴であるゴジラを復活させる」「そのゴジラが自然(地球)の敵であるキングギドラを倒す」というプロセスを経て、人類はまたひとつ罪を償うことができた、といえるはずです。

まとめ: ゴジラ キングオブモンスターズ の感想

「ゴジラ キングオブモンスターズ」について、今回私が語ったポイントは以下のとおりです。

  • 「ゴジラとは何か?」が本作のテーマ
  • ゴジラは善悪を超越した、人類に「過ち」を気づかせる存在である
  • 人類は過ちに気がつくことで、「家族」を取り戻すことができる

テーマとしては、わりと深いものを取り扱っていながら、全編をほぼアクションと怪獣たちの描写でまとめ上げたのは見事だったと思います。本作に関して「怪獣の描写が多く、人間ドラマが少ない」との声があるようですが、私は逆に「ほとんど怪獣同士の戦いだけで、深いテーマを描いている」という点が面白いところだと思います。

ゴジラの視点に立ってみると、彼自身は単に「番長」として振る舞っているに過ぎません。そこにどのような意味を見出すかは、彼の「舎弟」としての人類次第です。「怪獣がプロレスをする」という極めて単純な図式の中で、ゴジラ作品の普遍的なテーマである「ゴジラとはなにか」という点に切り込んでいったところに、この作品の面白さがあると思います。

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